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高崎の新音楽センター

市長もかわり、高崎市の財政の問題もあり、どうも大幅な変更もありそうで心配していましたが、久しぶりに市議会だよりで検討状況をみることができました。

http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/giji/dayori/documents/231_08-09.pdf

音楽をトップクラスとそうでないものにわけることが前提の答弁は、個人的には賛成できませんが、仕方ないところか。
新音楽センターというよりは、「都市集客施設」の一部となっているんですね。

同じ市議会だよりの11ページ(こちらはリンクしませんが、質疑要旨の最後のページ)でスポーツ振興の予算の話題も出ています。
文武両道といいながら、そして、音楽のある街、映画の町といいながら、そして、高崎市に限らず、スポーツと文化活動だと、どうしてもスポーツが強く優先されてしまうのは、なんとなく残念です。
高崎のスポーツ人口とそれをになう施設の数や予算と、文化活動をする人口とそれに対応する施設の数や予算を比べると、どうなのかなー。

「演奏会」を60周年にはしたい

合唱で人前で歌うことがあると、「学芸会にはなりたくない」というコトバがときどき聞こえてきます。

ようするに、父兄がやんややんやで喝采し、内容は二の次で、自分の子供が出ていればOK、みたいなレベルのそれではなく、「きちんとやりたい」という趣旨のコトバです。

でも、昨年「発表会ではなく演奏会」というコトバも聞く機会がありました。

発表会。

演奏に限らず、たとえば学会発表、というコトバもありますが、発表というのは、発信者主体です。それがもちろん、芸術分野でも学術分野でも、すばらしいものならば、聴衆、受け手に何らかの影響を与えます。でも、発表会は、聴衆や受け手に何らかの影響を与えなくても発表会です。

学芸会はきっと、父兄という聴衆には大きな、なによりも勝る感動を与える、あるいはもたらすでしょう。
たしかに、多くの合唱の「演奏会」「コンサート」は、関係者には何らかの影響を与えるものになっています。ステージにいる団員の関係者は、お世辞もふくめて「よかったねー」といい、しかし、同時に、その人の意外な一面をみたり、子供ならば、将来性の妄想を親にあたえたり(失礼(^^;)…。でも、関係者以外に何かを残している「演奏会」や「コンサート」はどのくらいあるでしょうか。

その「演奏会」に、テクニックはどれだけ必要でしょうか。

たぶん、テクニックがあると、より「何かを伝えやすい」という効果はあると思います。でも、テクニックがない=何も伝えられないではないと私は信じます。
幼少から音楽を学び、音大を出て、プロとなり、経験も積んで…という方がする演奏と、アマチュアの演奏会は、テクニックでは太刀打ちできないのは言うまでもないこと。でも、プロがサラっと平べったく、薄くやる演奏と、アマチュアがじっくり時間をかけ、仕事の合間を惜しんで練習してきたそれがなす演奏と、テクニックの不足を補うそれがあって欲しいと思います。

「アマチュア」は本来の意味は「愛好家」です。プロも愛好家であって欲しい。でも、演奏の回数をこなさないと生活はできないだろうし、好きではない、どうしても気持ちの入らないそれもやらなければならない。そんな駆け引きもきっとあるでしょう。

ということを背景として、アマチュアが何をもって発表会ではなく演奏会をするのか。

そもそも「演奏会」ってなんでしょう。

自己満足ならば一人からおけの方がよほど日本のためです。500人お客様がくれば、1000時間を費やしているのが普通の演奏会(たいてい2時間くらいですから)。1000時間費やすならば、よほど他にやるべきことはたくさんあります。何も伝えることも伝わることもなければ。一人からおけで2時間は、2時間満足する人が1人いて、他に無駄にはならないだけよほどマシ。

60周年にむけて、大勢の方にきていただきたい。そんなコトバは団員の中から聞こえてきます。大勢の方(とくに元団員の方々)にいっしょにステージにあがって欲しい。
60周年記念演奏会という性質上、ステージの上だけで満足してしまう恐れは強いと思いますが、60周年だからこそ、高崎の合唱団の草創期から継続している合唱団だからこそ、発表会ではなく演奏会とはこういうものだ、というものはやるべきではないか。自己満足で、人数×2時間を無駄にするのではない、発表会ではなく、演奏会にすることが、まずは必要なことではないか。

2013年のコールパーク60周年が近づいてくるほどにそれを感じます。

東日本大震災

平成23年3月11日14時46分頃の地震をきっかけに、余震あるいは連鎖で発生した地震、津波、原子力発電所の損壊にともなう事故など、あらゆる形であるゆる立場で被災された皆さまに、お見舞い申し上げます。
あわせて、その被害の拡大防止、救援、復興活動に全力をあげて取り組んでいる皆さまに、厚く御礼申し上げます。

1953年という戦後の暗い時期に、高崎公園で歌を通じて復興へのエネルギーとされたのであろう、コールパークの設立の想いを考えてみると、私個人は今こそ、気持ちまでさめきらず、そして、その気持ちを通じて復興への精神的な支援たるべく、活動を平常とおり続けていきたいと願っておりました。
しかし、残念ながら、高崎市の公民館すべてが、夜間の貸し出しを停止してしまいました。
また、団員の中には、ご親戚がとくに被害の大きかった茨城、福島、宮城にいる者もあり、最前線で復興活動にあたる立場のものもあり、という状況を考慮し、4月末までは活動を中断ということになっています。

一日も早い復興と、それに伴い、またそれを後押しする私達の活動の再開の想いもこめ、お見舞いと活動中止中のご案内を書き込みます。

(合唱団としての公式の文章ではないので、お知らせ的な内容ではありますが、こちらのカテゴリに含めて書き込みしました)。

第一回60周年企画会議? の感想

60周年にむけて、どんなステージにするのか。
今月から第一練習日のあとに、これで会議→飲み会を定例化することとなりました。(いや、60周年を肴に飲む、と、素直にいうべきか)。

選曲に関して、私が提案したり、意見として出てきたものをいくつか。

コールパークと同じ年齢の合唱曲。
たとえば、こんなのも提案してみましたが、調べたかぎり、作曲年度はわかりませんが、発売や発刊年度でいうと、大中恩先生が2楽譜(組曲『わたしの動物園』『日曜学校のころ』、曲集『5つの混声合唱曲』=「秋の女よ」だけでもいいかも…!)、髙田三郎先生が2楽譜(『季節と足跡』、雅楽の旋法による『聖母賛歌』)。あとは今をときめく、または今も比較的歌い継がれている作品を発表している先生方でも、1955年頃から合唱作品に取り組んだ例がほとんどで、1953年というのはなかなかむずかしいようです。

コールパークと同じ年齢の作曲家(合唱作品を複数発表している方)。
1953年に作曲されるには、作曲家の先生は1930年前後より生まれが前でなければなりませんから、なかなかむずかしい。でも、1953年生まれならば、と探してみたところ、荻久保和明先生、西村朗先生が該当。コールパークも『IN TERRA PAX』は過去に取り上げたことがありましたから、荻久保先生などは抵抗もなく取り組めるのでは…?(西村先生はむずかしすぎる印象があるのですが)。ネットでは私もブログを楽しみにしている吉松隆先生もいらっしゃいますが、合唱曲の作品はあったかなー…。

同じ年ではないけれど、日本の合唱史をふりかえって、このようなイベントで行うにふさわしい、と思い浮かべるものとして、『水のいのち』も提案としてあがりました。『土の歌』『筑後川』などもあがりましたが、前者は少々暗いのでは? という意見も出て、後者はどうしても九州地方の印象が強くなってしまうこともあってか、やや盛り上がりませんでした。
『水のいのち』は、60才ではないですが、髙田三郎先生は生誕100周年に該当する年になり、すでに髙田先生生誕100年記念演奏会がずいぶん企画されているようです。その一つとして取り上げるというのもありかもしれません。

名前にちなんで、公園に関連する合唱曲、なんていうのも面白いと思いますが、今のところ該当がみあたらず…。

人気サイトの管理人がこのように「ボソ」っと書くと、コメントがたくさん集まるようですが、ここでは無理ですかね…(^^;。

宗教曲を歌う

昨年のクリスマス。40過ぎの独身男がこんなことしているから未婚なんだ、と言われそうですが、一晩合唱について飲み明かしていました。始発まで飲んでいて帰ったのは何年ぶりだろう…。

いろいろな話が出ましたが、一番印象的だったのは、「キムジョンイル万歳」という歌詞の歌があったとしたら、それを心をこめてどれだけ歌えるか? というテーマ。

と、いうのは、宗教曲を信者でないものが歌ってよいのかいなか、という話から出てきたたとえ話です。

ちなみに私はやや特殊な環境で育ちました。信者ではないものの、聖歌は学校の関係で、それこそ物心ついたときから高校までは毎週、大学も行事のたびに歌ってくる、という環境です。だから、信者でないものが歌ってよいかいなか、という点では、「いい悪い関係なく歌っているもの」としか思えないのが最初でした。

ただ、私の「物心ついたときから」というのがポイントかもしれません。
「神を信じます」という歌詞は少々おいておくとして、平和や愛を歌った歌は、信仰に関係ない小さい子供にとっても、素直に「祈り」ではなく「願い」というレベルで口にすることはできるし、歌えるもので、受け入れられるものだと私は感じています。特に聖歌は、神をたたえる、という内容よりも、平和、愛、といった教義?(その中でも不偏・不変・普遍の道徳的なこと)を歌うものの方が多いと思いますからなおさらです。

それに…合唱をかじったことがある人は、たいていラテン語の宗教曲は歌う場面が出てきます。もちろんこれに疑問を感じながら歌う場合や歌う人もいると思いますが、ほとんどすべての合唱愛好家がキリスト教徒でなくても歌っているわけです。

それを話したところで出てきたのが冒頭のたとえ話。「ラテン語だから歌えるんだよ、日本語で歌詩の意味が(十分に)わかっていたら、どれだけ真剣に、気持ちをこめて歌い続けられるだろうか」ということで、「キムジョンイル万歳」が出てきたわけです。

たしかに、そう言われると非常に難しい。少なくとも北朝鮮の方が歌うのと、日本人が歌うのでは、気持ちのはいり方は違うだろうし、演奏という目でいけば、迫力も説得力も違うのは、かなり明確にイメージできます。
だとすると、信者でないものが宗教曲を歌ってよいのだろうか、というテーマでも同じことがいえるような気がしてくるわけです。
逆の話を聞いたこともあります。熱心なクリスチャンの方が、仏教の教えを説いた合唱曲を、信仰上の理由で歌えない、とステージにあがることを拒否した、というお話しです。日本の方で、日本語の仏教の教えを説いた歌ですから、場面は同じといってよいかもしれません。そして、サンスクリットで書かれた詩だったならば、まだこの方も歌えたのかもしれません。

30日にはCredoを歌います(http://www.chorpark.net/dp/diary.cgi?no=15)。これは、私の特殊な環境の話の中であげた、平和や愛を歌ったというよりは、信仰宣言ですから、はるかに「神を信じます」という内容に近い詩をもっていることになります。「天地の造り主全能の父なる神を信じます…」ではじまって「罪の赦し、よみがえり、永遠の命を信じます」まで続くわけですから。

合唱協会の機関紙「Harmony」でも、このテーマはとりあげられていたことがありました。だいたいこのテーマの結論は、「信者と同じには歌えないが、信者とは違う別のメッセージがあるはずだ」みたいなところに落ち着くのが一つのようです。私もこれには概ね賛成で、宗教に限定せず、たとえば、「ふるさと」を外国の方が歌ったらどうでしょう。日本人の「ふるさと」と同じに歌えるか、と考えると、違う「フルサト」や「Furusato」になるように思います。しかし、それが音楽としてダメなものかといえば、そうではないだろうし、「ふるさと」という楽曲は、オリジナルの意味や解釈は当然にあるとしても、それを離れても耐えうるだけの「深さ」「才能」もあるものだと私は逆に信じたいと思います。

そういう目でみると、ルネサンスの宗教曲など、500年前後も歌い継がれてきているし、世界のあちらこちらで取り上げられている。必ずしも信者が信仰心に則って歌うものでなくても、それを離れても耐えうるだけの「才能」があるものが現在に残っているのではないか…と(かなり勝手な解釈かもしれませんが)。

そのようなすばらしい音楽を生み出した宗教そのものには感謝し、そのようなすばらしい音楽を創り出した作曲・作詩者には敬意を表し、そのためには十分な準備(十分な勉強(解釈)を含む)を経た上で演奏することが不可欠ではないか、とあらためて思うわけです。ラテン語だから歌える、というのは、その意味では、まだ歌詞の意味をきちんと理解していないから、ということと同義かもしれません。そしてなによりも、戦争その他で、歌など歌っていられない環境にある方が大勢いる世界の中で、歌えることそれ自体にも感謝を忘れてはならないのはいうまでもありません。

このテーマのこの雑談は、結論がありませんが…。

歌はなぜ歌か

ひさびさ設置者の雑談です。
近く、アンコンで歌うモンテベルディの4声のミサ・クレドについても書くかもしれませんが、その前に。

歌がなぜ歌として存在しているのか。

そんなことを、最近練習でときどき思います。

たとえば、作詩されたものに作曲家が曲をつける。
でも、作詩されたのだから、曲がなくてもその詩は十分魅力的だし、意味がある。
それになぜメロディとリズムをつけて歌うのか。合唱ならば、それになぜハーモニーをつけて歌うのか。
朗読する人が勝手にメロディをイメージして、「詩は歌う」のであればともかく、特定の作曲家の個人の価値観を表現した作曲の下で、特に合唱は全員がコンセンサスをもって表現しているわけです。
そこに何の意味があるのだろう‥。

(ちなみに、詞と詩の違いはこの書き込みでは重要です。厳密にはともかく、おおまかには、詩は、曲をつけることを前提としていないテクスト、詞は曲をつけることを前提としているテクストです)。

合唱曲の中には、作詩ではなく、作詞のものもずいぶんあります。
でも、作詞された詞にも、曲がなくても魅力的なものはたくさんあるし、名作として歌い継がれている歌の詞は、みな、曲がなくてもすごい、と思うものばかり。

ならば、なぜ、それは詩や詞で存在するのではなくて、歌で存在しているのか。
ましてや、それを歌手は自らの解釈と表現で(多くは伴奏者=アドバイザーの意見をふまえて)、合唱は指揮者が解釈し、それに(合唱団のカラーによってことなるでしょうけれど)賛同して、個々の団員が自己表現しているのか。

歌でなくてもいいじゃない‥。歌が下手で、あるいは曲がろくなもんでないほどそう思ってしまいます。

まして、自分の勉強不足や経験不足、知識不足ももちろんですが、なぜこの詩や詞にこの音楽がついているの?? と理解ができないものは、ますます、唄うように朗読した方が、よほど作品の趣旨にそって、よほどみたされた表現ができるのではないか‥と思ってしまいます。

曲をつけた作曲家や、それを編曲した方々も、真摯に詩や詞を解釈して、それを活かすように誠心誠意、いや、誠心誠意なんて甘いことばです。命をかけてその作業をしたのだと思います、いや、信じて歌いたいと思いますが、実際はどうなのでしょう。

でも、私には、作曲や編曲をした方がどのくらい真剣に詩や詞に向かったのかはわかりませんから、命をかけてそれをやったということを前提として、ならば、こちらも命懸けで歌わなければいけない。

そして、もう一つ、それと同じくらい、歌う人は作曲家の考えも尊重しなければならない。ときには、作曲家の考えと編曲家の考えの両方を。
また、詞や詩について書いてきたことは、詩や詞をともなっていない音楽にもいえます。ある音楽にコトバをつけて歌うということは、ときには思想や解釈を固定して、音楽をせばめてしまうこともあると思います(その意味で、数年前の大ヒット曲はどうも疑問なのですが)。その危険をふくんでコトバをつけて音楽を演奏するならば、それも相当の覚悟が必要だし、つける以上は、コトバもきちんと聴衆に伝えないと‥。

できるできないはともかく、こういう気持ちでやっていきいたと、「歌はなぜ歌か」と感じるたびに最近思います。そうすれば、少しは目ざす何かに近づけるのではないかと‥。

高崎市に新ホール

タイトルのとおり。

群馬音楽センターという、もはや文化遺産というより歴史的遺産がある高崎。が…キタジマサブロウさんがリサイタルをしたときに「(このホールではダメだから)新ホール建設のために使いなさい」と、ギャラ300万を置いていったとか…たぶん、これは作り話でしょうけれど、『音楽のある街たかさき』を前面に出しておきながら、最近は映画祭の高崎、ばかりで、音楽はすっかり群響だけ、状態でした。だから、音楽ホールも、残響1.3秒という、もはや歴史遺産ではなく、歴史遺物の状態の群馬音楽センターが象徴となっていました。

が、この群馬音楽センターは、音楽施設としてはもはや最前線でなくても、十分に高崎の象徴であるし、残すべき建造物でもあると思います。群馬交響楽団の基点でもあるし、建築は超有名建築家(しかし、そのデザインは、現市庁舎から見下ろすと、「潰れた蜘蛛」みたいで、私はその良さは外観からは感じませんが)の設計。なによりも、市民の手、市民のお金、市民の声でできた、というのは、文化低水準の日本において、高崎市民だけでなくて、日本全体で誇るべき遺物だと思います。そう、でも、遺物なのです。「ここに泉あり」をみるまでもなく!

そんな高崎市で、新ホール建設が方向としては決まりました。しかも、交付金の関係で、平成27年までに作るのだそうです。

個人的には、なぜ、現市庁舎を作るときに、文京区役所のような施設を「音楽のある街」の市庁舎ならば検討しなかったのか、と、いつも思っています。高崎駅から市庁舎まで公営地下鉄とまではいいませんが、庁舎1・2階に大ホールとその関連施設があり、国の施設、県の施設、そしてそれに関係する行政機関をまとめた便利さ。東京らしく、大江戸線の駅が庁舎地下にあり、高齢者でもエスカレーターやエレベーターで行き来できる環境。そして、ホール(文京シビックホール)も、すばらしいホールです。

が、もう高崎市庁舎はできてしまいましたから、次に個人的に願うのは、大宮駅の例。ソニックシティまで駅と一体。そしてソニックシティのホールの評判はここであらためていうまでもありません。

今回も残念なのは、多目的ホールを目指しているそうです。でも、音楽のある街でしょう?? 高崎市は。多目的ホールは、もう既にたくさんあります。音楽専門(ただし、群馬音楽センターが目指したことですばらしいと思うのは、邦楽も意識していたこと。だから、西洋音楽のクラッシックに特化ではなく、邦楽(伝統音楽というのでしょうか)、ロック、フォーク…あらゆる音の芸術に対応できるようにして欲しいというのは私のささやかな願いです。何が多目的ホールと違うか。音楽(古今東西問わず)と、講演や研修のそれとはやはり違うと言わざるをえません。ただ、音楽を基準に作れば、表面的な装飾や装置で、講演、研修などには対応できるはずです。と、いうわけで、多種類音楽対応ホールは期待するのですが、多目的ホールは、すでにある円形ホール、たまごホール、あるいは現在の音楽センターの方がそれに近い対応はしやすいでしょうから、群馬音楽センターを残すならば、それで対応し、「音楽のある街」にそった、音楽関連専門ホールがいいなー。

場所はまだきまっていないそうです。以前私はもしホールを作るならば新保町がいい、とよくいっていました。関越ICから近く(東京や近県の便宜)、また、前橋には市境に近く、現在、桐生や伊勢崎の近代的なホールに集客では負けていることを考えれば挽回できるかと思います。ここに作ると、問題点は高駒線の慢性的な渋滞。でも、渋滞は他で回復するべきものだと思うし、しばしば音楽イベントがある夕方は、混雑する高駒線も、渋滞の時間帯は、逆方向のそれになります。そして、広大な土地。申し訳ないが、破綻したサンピアをちょっと応用して、近隣の畑は相続対策で苦慮している、ということでしたから…。ただ、バカみたいな(失礼(^^;…でも、人口は県内1位になったけれど、人口密度は5位に下がったということからすれば…)合併の結果を考慮すると、現高崎市の東のハズレに作るのは、新高崎市は西側が多いので、新高崎市のみなさんのためにはならないかもしれません(でも、旧吉井町あたりは、上信越道をつかえば、現高崎市庁舎付近の群馬音楽センターより出やすいかもしれません)。

今回は、現もてなし広場、東口栄町Pあたりが最終候補で、他にも3箇所あがっているそうです。
集客を考えると、もてなし広場と栄町Pのいずれかでしょう。そして、もてなし広場は、現在も地方とはいえ「都市」と言われる中心部分に、自由活用の空き地があることは、ある種実験だ、という評価もあるそうですが、その実験は成功していると思います。だいいち、群馬音楽センターのとなりに新ホールを作る意味もないし、高崎市庁舎、このたび移設する図書館などの近隣の施設の応用として、それこそ(ますます)多目的に使える広場は必要ではないかと思います。そういう意味で、個人的には東口栄町P案に期待したいところです。そうすると、実は、大宮駅のようにそこまでつながる構想もあるそうですから。(もうひとつ、微妙にもてなし広場は、東口栄町Pよりも駅から遠いです。これは東京から客をひっぱるイベントでは、いちいち案内係などの動員が必要でランニングコストという点でも不利ではないでしょうか。しかも、いろいろな施設が集まっているので、駐車場確保の問題もあります。その点、東口はなにもない(^^;ので、駐車場問題もクリアしやすいと思います)。

と、いうわけで、大宮駅+ソニックシティをモデルとした東口活用で、文京区役所はもはや手遅れとしても、交通の便宜や、音楽専門ホールとしつつ、(ヤマダ電機のレストラン街があるのが問題なのですが…街づくりとしては、あそこにレストラン街を作ったのは失敗だと思うのですが)文化的な食堂や、ショップなども含めた複合施設ができるといいなー、と思うのでした。

1/24 に歌う3曲の個人的な謎

 24日に歌う3曲に、歌うにはどうでもいいかもしれない疑問がそれぞれあります。

 ネットの検索でも調べてみましたが、多数説はあるものの決定的ではないようで。そう、自分の解釈で自分で納得することが大事なのかもしれません。
 「正解はない」と、東京混声の田中信昭先生指揮の演奏機会で、先生が語っていたことを思い出します。

ちなみにその疑問。

1.雪

 定番の疑問の、「雪やこんこ」か「雪やこんこん」か。

 現在の教科書の表記、というレベルでは前者という結論が出ていますが、作者不詳のこの作品で、作者はどちらを意図していたのか。

 多数説? は、いずれにしても最初の「こ」には「来」の字をあてていますが、でも、これ、単純な擬態語でもおかしくないと思います。しんしんと降る雪、という表現は一般的ですが、こんこんと降る、というのでも、すごく情景が浮かんできますので。

 この歌は、子どものころにきいて、ずっと、雪がふることを願っている歌だと思っていました。雪よ降ってください。そうすれば、あたり一面綿のような衣をきて、犬も喜ぶし、僕(子ども)もうれしいです、という子どもとしての願いを込めた歌ではないかと。

 そう解釈すると、雪や来む来む で、こんこんになります。

 「こんこ」とする考え方からは、意味は「ここに降れ」という意味になりやすくなります。でも、そんな自我中心の歌でしょうか?? 関東の子どもなら、上記の私のように雪を思うでしょうし、雪国の子どもならば、ここに降れ、とは逆に思わないと思います。

 だから、これは東京育ちの発想かもしれません。雪は降りすぎない方がありがたい、と、おそらく思うであろう雪国の人たちからみると、とんでもない解釈だろうと。

 そんなわけで、結論は出ていません。

 ただ、大人の心配はよそに、雪がふってきたときの白さへの感動、人間の心配を気にしない動物たち、古今東西たとえがあるように枯れ木の寒々しさをあたためてくれるようにみえる雪。そんな楽しさとありがたさをまずは大切にしているのかな、というのが、一往現在の私の考えです。

2.ずいずいずっころばし

 これは単純に何を歌っているの?? という疑問。

 古謡は、単純に言葉遊び的なものでは? と思うものもあるので、これも、「ずいずい」という言葉をモチーフにした言葉遊びかな? というのが、長年思っていた解釈でした。
 ただ、そうだとしても、時代をこえて残る歌には、隠れた意味があったり、奥深い解釈があるのはよくあること。特に子どもの歌は、子どもへのさまざまな教育が隠されていることも…と、ずっと思っていました。

 そのひとつの有力説が、大名行列(=茶壺)を揶揄し、同時に、子どもに対して、行列が過ぎ去るまではひれ伏して動かないように、と教えている歌だ、という考え方があります。
 なるほど、そういわれてみるとそうとれなくはないかな…。

 ただ、基本的な手法として、この歌の歌詞に漢字をあてるとどうなるでしょうか。
 たとえば、「戸ピシャン!」かな…。
 「ずいずい」は、なんとなく「すみからすみえとずずずいーーーと」の「ずい」だという印象をもっていました。

 ちなみに、物心ついたころ、偶然にアメリカのアニメ「Tom&Jerry」が好きでした。そのイメージと重なって、私にとってはこの歌はしばらくのあいだ、Jerryの歌でした。JerryをおいかけるTomと、その二人が巻き込んだ廻りのドタバタを表現しているように感じていたわけです(Jerryなら、茶壺を楯にしたり、戸をピシャンとしめたり、そしてTomが目をまわしているあいだに米も食べるだろうし。Jerryをおいかけるのに夢中のTomは買主が呼んでも知らんぷり。ドタバタでお茶碗のひとつやふたつは割っていることでしょうし…と、いう具合です)。きっと、茶碗を欠いたのは、Tomでしょう…。でも、あのアニメのリズミカルな展開と、この歌の展開は、似ていると、今でも思います。

 で…、結局なんなんでしょう。

 歌詞はわからないのですが、単純な言葉のリズムを楽しむ歌だとすると、それをどうして平吉先生はこのように編曲したのか?? 男性と女性の2声のカノンのような部分もあり、かといって、縦が揃うと、5度の和音が印象的で。男と女を猫とネズミにたとえて、日本古謡的な和声をきわだたせることを意識した作品、と、私の上記の印象(決して、理解とか解釈というレベルではないのですが)からは、思われます。

3.ペチカ

 細かい解釈(たとえば、よく出てくる「栗や栗や」の意味etc)以前に、この歌の主体は誰なのか。私はここで一番理解に悩みます。考えられるのは
 1.ペチカを擬人化して、ペチカが主体
 2.ペチカのある部屋にいる人間
 3.ペチカで団欒している家族を語るナレーター
たぶん、素直に考えると2.でしょう。
でも、4番の歌詞などは、ペチカの心情を歌っているようにも思いますから1.です。
部分的にどちらにも取れるので、だから3の考え方がむしろ無難にも思います。

それによって、「お話ししましょ」は、誰が誰に語っているのかかわってきます(当然そのあとの「むかしむかしよ」も。
「ペチカ燃えろよ」は、自分に語っているペチカ、というのも考えられなくはないですが、ここの部分は、2か3でしょうか。

そして、歌として表現するとき、この1~3のいずれかによって、まったく表現はかわるような気がします。だから、根本的だし、一番大事な解釈だと思うのですけれど。

 北原白秋の時代を考えると、擬人化する手法は既に存在していて(真偽はわからないが、「我が輩は猫である」がその先駆け、という考え方があるそうですから。1905年の同作品よりも25年ほど遅く発表されたことから)、それを取り入れた、ということで1.も十分に考えられるように思います。完全に1.でないとしても、「楊ももえろよ」の「もえろ」は、「(ペチカ)燃えろ」と「やなぎ(萌えろ)」を重ねた技法という解釈もあるそうで、白秋は意図的にどちらにも解釈して、鑑賞者にまかせたようなところはなかったでしょうか。

 ちなみに、いろいろ調べる前は1.だと思っていました。ペチカという暖房方法から、人の少ない山小屋のような印象がなんとなくあったので、自分を燃やしてあたたまってくれる人がいることがペチカもうれしいし、そんな人とお話しもしたいし。でも、自分があたためている人にとっては、春が待ち遠しいのだろうと、(自分が使われなくなるのを承知の上で)春を一緒に待ち望むような。そんな優しいペチカを擬人化したもの、というふうに考えていたわけです。

 結局わかりませんが、一般に、ペチカという暖房方法は、やさしく、ふかく、じんわりくるような温かみがあるとされています。単純に、そういうやさしさをペチカにたとえて白秋が書いた、という考え方もありかな、と、なんとなく思っています。

 余談ですが、山田耕筰が「ペイチカ」と歌うことに晩年はこだわっていたという話があります。白秋は既になくなっていますから、白秋がこれに賛同したかどうかはわかりません。ただ、白秋はペチカで作っているのですから、かってに「ペイチカ」にするのは、いかに山田耕筰大先生でもいかがなものかと…(白秋の著作者人格権・同一性保持権侵害です)。それに「赤とんぼ」論争からいわれるように、言葉の抑揚などを大事にしたとする山田先生ならば、最初からペイチカならば、作曲もかわっていたように思います。逆に、そういう問題があるのにこだわったほど、重要な意味があったのかもしれません。

この「分類(タグ)」について

合唱団コール・パークのブログですから、個人的な雑談はおかしいのですが、公式な? 記事だけですと停滞してしまう時期もありますので、あえてこのタグを用意しました。

タグの名前のとおり、設置者個人の雑談ですから、合唱団とは直接関係ありません。ただ、合唱団行事や、歌っている歌などに関するネタ限定で、雑談させていただきます。

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