24日に歌う3曲に、歌うにはどうでもいいかもしれない疑問がそれぞれあります。
ネットの検索でも調べてみましたが、多数説はあるものの決定的ではないようで。そう、自分の解釈で自分で納得することが大事なのかもしれません。
「正解はない」と、東京混声の田中信昭先生指揮の演奏機会で、先生が語っていたことを思い出します。
ちなみにその疑問。
1.雪
定番の疑問の、「雪やこんこ」か「雪やこんこん」か。
現在の教科書の表記、というレベルでは前者という結論が出ていますが、作者不詳のこの作品で、作者はどちらを意図していたのか。
多数説? は、いずれにしても最初の「こ」には「来」の字をあてていますが、でも、これ、単純な擬態語でもおかしくないと思います。しんしんと降る雪、という表現は一般的ですが、こんこんと降る、というのでも、すごく情景が浮かんできますので。
この歌は、子どものころにきいて、ずっと、雪がふることを願っている歌だと思っていました。雪よ降ってください。そうすれば、あたり一面綿のような衣をきて、犬も喜ぶし、僕(子ども)もうれしいです、という子どもとしての願いを込めた歌ではないかと。
そう解釈すると、雪や来む来む で、こんこんになります。
「こんこ」とする考え方からは、意味は「ここに降れ」という意味になりやすくなります。でも、そんな自我中心の歌でしょうか?? 関東の子どもなら、上記の私のように雪を思うでしょうし、雪国の子どもならば、ここに降れ、とは逆に思わないと思います。
だから、これは東京育ちの発想かもしれません。雪は降りすぎない方がありがたい、と、おそらく思うであろう雪国の人たちからみると、とんでもない解釈だろうと。
そんなわけで、結論は出ていません。
ただ、大人の心配はよそに、雪がふってきたときの白さへの感動、人間の心配を気にしない動物たち、古今東西たとえがあるように枯れ木の寒々しさをあたためてくれるようにみえる雪。そんな楽しさとありがたさをまずは大切にしているのかな、というのが、一往現在の私の考えです。
2.ずいずいずっころばし
これは単純に何を歌っているの?? という疑問。
古謡は、単純に言葉遊び的なものでは? と思うものもあるので、これも、「ずいずい」という言葉をモチーフにした言葉遊びかな? というのが、長年思っていた解釈でした。
ただ、そうだとしても、時代をこえて残る歌には、隠れた意味があったり、奥深い解釈があるのはよくあること。特に子どもの歌は、子どもへのさまざまな教育が隠されていることも…と、ずっと思っていました。
そのひとつの有力説が、大名行列(=茶壺)を揶揄し、同時に、子どもに対して、行列が過ぎ去るまではひれ伏して動かないように、と教えている歌だ、という考え方があります。
なるほど、そういわれてみるとそうとれなくはないかな…。
ただ、基本的な手法として、この歌の歌詞に漢字をあてるとどうなるでしょうか。
たとえば、「戸ピシャン!」かな…。
「ずいずい」は、なんとなく「すみからすみえとずずずいーーーと」の「ずい」だという印象をもっていました。
ちなみに、物心ついたころ、偶然にアメリカのアニメ「Tom&Jerry」が好きでした。そのイメージと重なって、私にとってはこの歌はしばらくのあいだ、Jerryの歌でした。JerryをおいかけるTomと、その二人が巻き込んだ廻りのドタバタを表現しているように感じていたわけです(Jerryなら、茶壺を楯にしたり、戸をピシャンとしめたり、そしてTomが目をまわしているあいだに米も食べるだろうし。Jerryをおいかけるのに夢中のTomは買主が呼んでも知らんぷり。ドタバタでお茶碗のひとつやふたつは割っていることでしょうし…と、いう具合です)。きっと、茶碗を欠いたのは、Tomでしょう…。でも、あのアニメのリズミカルな展開と、この歌の展開は、似ていると、今でも思います。
で…、結局なんなんでしょう。
歌詞はわからないのですが、単純な言葉のリズムを楽しむ歌だとすると、それをどうして平吉先生はこのように編曲したのか?? 男性と女性の2声のカノンのような部分もあり、かといって、縦が揃うと、5度の和音が印象的で。男と女を猫とネズミにたとえて、日本古謡的な和声をきわだたせることを意識した作品、と、私の上記の印象(決して、理解とか解釈というレベルではないのですが)からは、思われます。
3.ペチカ
細かい解釈(たとえば、よく出てくる「栗や栗や」の意味etc)以前に、この歌の主体は誰なのか。私はここで一番理解に悩みます。考えられるのは
1.ペチカを擬人化して、ペチカが主体
2.ペチカのある部屋にいる人間
3.ペチカで団欒している家族を語るナレーター
たぶん、素直に考えると2.でしょう。
でも、4番の歌詞などは、ペチカの心情を歌っているようにも思いますから1.です。
部分的にどちらにも取れるので、だから3の考え方がむしろ無難にも思います。
それによって、「お話ししましょ」は、誰が誰に語っているのかかわってきます(当然そのあとの「むかしむかしよ」も。
「ペチカ燃えろよ」は、自分に語っているペチカ、というのも考えられなくはないですが、ここの部分は、2か3でしょうか。
そして、歌として表現するとき、この1~3のいずれかによって、まったく表現はかわるような気がします。だから、根本的だし、一番大事な解釈だと思うのですけれど。
北原白秋の時代を考えると、擬人化する手法は既に存在していて(真偽はわからないが、「我が輩は猫である」がその先駆け、という考え方があるそうですから。1905年の同作品よりも25年ほど遅く発表されたことから)、それを取り入れた、ということで1.も十分に考えられるように思います。完全に1.でないとしても、「楊ももえろよ」の「もえろ」は、「(ペチカ)燃えろ」と「やなぎ(萌えろ)」を重ねた技法という解釈もあるそうで、白秋は意図的にどちらにも解釈して、鑑賞者にまかせたようなところはなかったでしょうか。
ちなみに、いろいろ調べる前は1.だと思っていました。ペチカという暖房方法から、人の少ない山小屋のような印象がなんとなくあったので、自分を燃やしてあたたまってくれる人がいることがペチカもうれしいし、そんな人とお話しもしたいし。でも、自分があたためている人にとっては、春が待ち遠しいのだろうと、(自分が使われなくなるのを承知の上で)春を一緒に待ち望むような。そんな優しいペチカを擬人化したもの、というふうに考えていたわけです。
結局わかりませんが、一般に、ペチカという暖房方法は、やさしく、ふかく、じんわりくるような温かみがあるとされています。単純に、そういうやさしさをペチカにたとえて白秋が書いた、という考え方もありかな、と、なんとなく思っています。
余談ですが、山田耕筰が「ペイチカ」と歌うことに晩年はこだわっていたという話があります。白秋は既になくなっていますから、白秋がこれに賛同したかどうかはわかりません。ただ、白秋はペチカで作っているのですから、かってに「ペイチカ」にするのは、いかに山田耕筰大先生でもいかがなものかと…(白秋の著作者人格権・同一性保持権侵害です)。それに「赤とんぼ」論争からいわれるように、言葉の抑揚などを大事にしたとする山田先生ならば、最初からペイチカならば、作曲もかわっていたように思います。逆に、そういう問題があるのにこだわったほど、重要な意味があったのかもしれません。